「人に期待しないほうがいい」は本当?― 期待には2種類ある

「人に期待しないほうがいい」そんな言葉を聞くことがあります。
たしかに、人に期待しすぎると苦しくなることがあります。
「これくらいしてくれると思っていた」
「わかってくれると思っていた」
「もっと大切にしてくれると思っていた」
期待していた分だけ、そうならなかったときの落胆も大きくなります。
だから、「期待しないほうが楽」という考え方にも、よくわかるところがあります。
でも私は、期待には少なくとも2種類あると思っています。
ひとつは、自分の欠乏から生まれる期待。
もうひとつは、その人の成長や可能性を願う期待。
同じ「期待」という言葉でも、この二つはかなり違うものです。
「満たしてもらう」ことが前提の期待
たとえば、
「もっとわかってほしい」
「私を認めてほしい」
「大切にしてほしい」
「こうしてくれるはず」
「普通ならこうするでしょう」
そんな思いが強くなっているとき、その期待の奥には、「相手にこうしてもらえたら、私は満たされる」という思いが隠れていることがあります。
つまり、相手から何かをもらうことが前提になっている期待です。
そして、ここにはもう少し深い背景があります。
私たちは過去の体験の中で、
「もっとわかってほしかった」
「認めてほしかった」
「大切にしてほしかった」
という思いを抱えたまま大人になることがあります。
その願いが十分に満たされなかったとき、心のどこかに不足感が残ることがあります。
すると私たちは、目の前の相手に対して無意識のうちに、
「今度こそ、わかってほしい」
「今度こそ、大切にしてほしい」
と期待することがあります。
本人は、過去の何かを埋めようとしているつもりなどありません。
ただ目の前の相手に「こうしてほしい」と思っているだけです。
けれど、その思いがとても強いときには、今の関係だけでは説明できない何かが、そこに重なっていることもあります。
だから期待が外れたとき、出来事以上に傷ついたり、強く腹が立ったりすることもある。
目の前で起きたことだけではなく、ずっと抱えてきた「満たされなかった思い」まで一緒に刺激されるからです。
もちろん、誰かにわかってほしい、愛してほしい、大切にしてほしいと思うことは自然なことです。
人は、ひとりだけで満たされて生きる存在でもありません。
誰かと関わり、受け取り、支え合って生きています。
だから、「人に何も求めてはいけない」という話ではないのです。
ただ、自分の心を満たす責任まで、相手に渡してしまうと苦しくなる。ということです。
相手が期待どおりに動かなければ、
「どうしてしてくれないの?」
「こんなにしてあげているのに」
「私のことを大切に思っていないの?」と、不満や怒りが生まれてくる。
そして少しずつ、「あなたは、私が望むあなたでいて」という関係になっていきます。
期待が強くなるほど、目の前にいる「その人」よりも、自分の中にある「こうあってほしいその人」を見てしまうのです。
もうひとつの期待
一方で、こんな期待もあります。
「この人なら、きっとできる」
「まだこんな可能性があると思う」
「この人が、その人らしく力を発揮できたらいいな」
これは、相手から何かをもらうための期待ではありません。
相手の中にある可能性を見ている期待です。
こちらは、期待というより、少し「信頼」や「願い」に近いのかもしれません。
私は長く人の相談に関わってきましたが、人はときに、自分以上に自分の可能性を信じてくれる人の存在によって、
一歩を踏み出せることがあります。
「あなたなら大丈夫」
「あなたにはこんな力があると思う」
そんな誰かのまなざしが、自分ではまだ見えていない力に気づくきっかけになることもあります。
だから私は、人に期待することそのものが悪いとは思っていません。
むしろ、人の可能性を信じることには、人を育てる力さえあると思っています。
ただし、ここには大切な境目があります。
それは、期待どおりにならなかったときに、その人の選択を尊重できるかどうか。です。
「あなたなら、こうなれると思う」そう思っていたとしても、「でも、どう生きるかを決めるのはあなた」と思えるなら、そこには相手の人生への尊重があります。
たとえば、自分から見ればもっと挑戦できると思っていても、その人が今は挑戦しないことを選んだなら、それもその人の人生です。
遠回りに見える道を選んだとしても、そこからその人にしか得られないものがあるかもしれません。
人にはそれぞれ、その人にしかわからないタイミングがあります。
だから、「あなたの可能性を信じていること」と「私の望む方向へ進んでほしいこと」は、似ているようで、かなり違うものなのだと思います。
「あなたのため」が支配に変わるとき
これは親子関係でも、夫婦でも、仕事でも起こります。
「あなたのためを思って言っている」その言葉自体には、本当に相手を思う気持ちが含まれていることがあります。
けれど、「あなたのため」という言葉の奥に、
「私が安心したい」
「失敗してほしくない」
「私が正しいと思う道を歩いてほしい」
が入り込むことがあります。
すると、本人には善意しかないつもりでも、少しずつ相手の人生をコントロールしてしまうことがある。
ここが、期待の難しいところです。
愛情と支配は、ときどきよく似た顔をして現れます。
だからこそ、「私は、本当にこの人のために願っているのだろうか」それとも、「この人が私の期待どおりになることで、私が安心したいのだろうか」と、自分の内側を見てみることが大切なのだと思います。
二つの期待は、矢印の向きが違う
二つの期待の違いを、私はこんなふうに感じています。
欠乏からの期待は、「あなたが私を満たして」と、相手から自分へ向かう矢印。
成長を願う期待は、「あなたの中にあるものが育っていくといいね」と、その人自身へ向かう矢印。
前者では、相手が変わることで自分が満たされようとします。
後者では、自分が何かを受け取れなくても、その人がその人らしく生きていくことを願うことができます。
もちろん、人の心はそんなにきれいに二つには分かれません。
「あなたのため」と思いながら、少しは自分の願いも混ざっている。
「幸せになってほしい」と思いながら、自分が安心したい気持ちもある。
そんなことは、いくらでもあります。
だから、どちらかに分類して自分を裁く必要はありません。
大切なのは、今の私は、どちらからこの人を見ているのだろう。と気づいていくことです。
相手を、自分の期待から自由にする
「人に期待しない」私は、この言葉を「誰にも何も求めないこと」だとは思っていません。
むしろ、相手を、自分を満たす役割から解放すること。なのだと思っています。
「こうしてくれたら嬉しい」そう思う自分の気持ちは、ちゃんと大切にする。
必要なら、相手に伝えることもできる。
でも、「だから、あなたはそうするべき」までは相手に背負わせない。
自分の願いは自分のものとして持ち、相手の選択は相手のものとして残しておく。
そうすると、人との関係に少し余白が生まれます。
そしてその余白の中で、ようやく、「私の期待するあなた」ではなく、「今ここにいるあなた」が見えてくることがあります。
相手を自分の期待から自由にすると、実は自分自身も自由になります。
「この人がこうしてくれなければ幸せになれない」という世界から、「私は私の人生を生きながら、あなたはあなたの人生を生きていい」という関係へ変わっていくからです。
期待の奥にあるものを見る
頭では、「相手に求めすぎないほうがいい」「相手には相手の人生がある」とわかっていても、どうしても期待を手放せないことがあります。
そんなときは、「なぜ私は、こんなにも相手にそれを求めるのだろう」と見ていくことが大切です。
たとえば、
「わかってほしい」
「認めてほしい」
「大切にしてほしい」
という思いの奥に、過去から続いている感情やビリーフが関わっていることがあります。
だから、期待しないように頑張るだけでは、なかなか苦しさが変わらないこともあります。
私はセッションの中で、こうした期待の奥にある感情やビリーフを見つけ、ビリーフチェンジを通して整えていきます。
すると少しずつ、「わかってくれたら嬉しい。
でも、わかってくれなくても私は私でいられる」そんな感覚が育っていきます。
相手への期待が苦しくなったときは、「私は、この人から本当は何をもらいたいと思っているんだろう」と、自分に聞いてみてください。
そこに、人間関係を変えていくヒントが隠れていることがあります。
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