「傷ついた」と「傷つけられた」は同じなのか?

誰かの何気ない一言に深く傷つくことがあります。
一方で、同じ言葉を言われても、まったく気にならない人もいます。
この違いは、どこから生まれるのでしょうか。

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同じ言葉でも、傷つく人と傷つかない人がいる

たとえば、誰かに「太っている」と言われたとします。
自分がとても痩せていて、「私は太っていない」と確信していたら、「何を言っているんだろう」で終わるかもしれません。

ところが、自分でも体型を気にしていたり、
「私は太っている」
「太っている私は魅力がない」
と感じていたりすると、その言葉は深く刺さります。

同じ言葉なのに、傷つく人と傷つかない人がいる。
その違いには、相手が何を言ったかだけでなく、自分がその言葉をどう受け取ったかも関わっています。

「傷ついた」と「傷つけられた」は同じなのか

「私は傷ついた」そう感じたなら、その痛みは、その人の中で実際に起きています。

ただ、「私は傷ついた」ということと、
「あなたが私を傷つけた」ということは、必ずしも同じではありません。

誰かが傷つけようとして言葉を投げても、こちらが受け取らなければ傷つかないことがあります。
反対に、相手に傷つける意図がなくても、自分の中の何かが反応して深く傷つくこともあります。

もちろん、いじめや誹謗中傷まで「受け取り方の問題」で片づけたいわけではないんですよね。
人を傷つける言動は、やっぱり減っていった方がいい。

そのうえで、
「傷ついた」という体験と、
「傷つけられた」という捉え方は、
少し分けて考えてみてもいいのではないでしょうか。

傷つきやすさの奥にあるビリーフ

私たちは、目の前の言葉を、そのまま受け取っているわけではありません。
自分の中にある前提を通して、その言葉に意味づけをしています。
その前提の一つが、ビリーフです。

ビリーフとは、自分や人、世の中について、無意識のうちに信じていること。
たとえば、
「私は価値がない」
「私は大切にされない」
「私は認めてもらえない」
「失敗したら嫌われる」
「弱い自分には価値がない」
そんなビリーフがあると、それに触れる言葉や態度に強く反応しやすくなります。

相手は何気なく言っただけでも、
「やっぱり私は認められていない」
「やっぱり私は価値がない」と受け取ってしまう。

つまり、心を強く傷つけているのは、相手の言葉だけではなく、その言葉によって刺激されたビリーフであることも少なくないのです。

傷ついた体験は、自分を知る入り口になる

傷ついたとき、「どうして、あんなことを言ったのだろう」と相手を見ることは自然なことです。

でも、そこで少しだけ視線を自分にも向けてみる。
「私は、何に反応したのだろう。」

その言葉は、自分の中のどんな思いに触れたのか。
どんな怖さが動いたのか。
どんなビリーフが刺激されたのか。

そうやって見ていくと、傷ついた体験は、自分を責める材料ではなく、自分を理解する入り口に変わっていきます。

ビリーフは、見つけたあとに変えていける

ビリーフは、気づいただけですぐに変わるものではありません。
その考えを持つようになった体験や、そのときに感じきれなかった感情が、心の奥に残っていることがあるからです。

なぜ、そう信じるようになったのか。
その背景を丁寧に見つめ、残っている感情を扱っていくことで、ビリーフは少しずつ変わっていきます。
すると、以前と同じような言葉を受け取っても、自分の価値まで否定されたようには感じにくくなります。

傷つかなくなることを目指すのではなく、相手の言葉に自分の価値を委ねなくなっていく。
それが、自分の力を取り戻していくということなのだと思います。

同じようなことで何度も傷ついてしまう。
人の言葉や態度に強く反応してしまう。
そんなときは、その奥にあるビリーフを一緒に見つけていくことが、変化の入り口になります。

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