大切な人のために、頑張りすぎていませんか?

支える側の苦しさは、見えにくい
「カサンドラ症候群」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。
自閉スペクトラム症(ASD)の特性があるパートナーなどとの情緒的なすれ違いや、周囲に理解されない孤立感などから、心身が疲弊してしまう状態を指す言葉です。
正式な医学的診断名ではありませんが、この言葉から考えたいのは、支える側の苦しさは、周囲から見えにくいことがあるということ。
これは、発達特性のある人との関係に限らず、考えてみたい問題です。
例えば、家族が身体や心の病気を抱えたとき。
あるいは、年老いた親の介護が必要になったとき。
どうしても周囲の関心は、支援や介護を必要としている本人に向かいます。
もちろん、それは大切なことです。
でも、その隣で支えている人もまた、不安や疲れ、孤独を抱えているかもしれません。
「本人が一番つらいのだから」
そう思って、自分の苦しさを飲み込んでしまう。
けれど、誰かが苦しんでいるからといって、自分の苦しさが小さくなるわけではありません。
支える人にも、支えが必要なときがあります。
相手の状態が、自分の一日を決めてしまう
相手の調子がよければ、自分もほっとする。
調子が悪そうだと、何かできることはないかと考える。
何気ない言葉や態度が気になって、相手の様子ばかりうかがってしまう。
あるいは、介護や通院の付き添いなどで、自分の予定を後回しにする日々が続く。
そんな毎日を過ごしているうちに、自分の気持ちも生活も、相手の状態を中心に回るようになることがあります。
もちろん、家族の病気や介護によって、実際に生活上の負担が増えることもあります。
気持ちの持ち方ひとつで解決できる話ではありません。
ただ、現実的な負担に加えて、自分の気持ちや願いまで後回しにすることが当たり前になっているとしたら、そこには少し目を向けてみる価値があると思うのです。
なぜ、そこまで頑張ってしまうのだろう
大切な人を支えたいという気持ちには、もちろん愛情があるでしょう。
また、実際に自分が担わなければならないこともあると思います。
でも、ときには愛情や現実的な責任だけでは説明できないほど、頑張ってしまうことがあります。
相手が落ち込んでいると、自分まで不安になる。
相手が不機嫌だと、何か悪いことをしたのではないかと気になる。
相手が元気になるまで、自分も安心できない。
そんなとき、私たちは相手のために頑張りながら、自分自身の安心も取り戻そうとしているのかもしれません。
その背景には、
- 私が何とかしなければ
- 人を困らせてはいけない
- 大切な人の役に立たなければ
- 自分だけ幸せになってはいけない
といった、無意識の思い込み(ビリーフ)が隠れている場合もあります。
例えば、子どもの頃から周囲の顔色をうかがい、相手が不機嫌にならないように振る舞ってきた人。
誰かの役に立つことで、安心や居場所を感じてきた人。
そんな経験を重ねていると、大人になってからも、相手の状態を何とかすることが自分の役割になってしまう場合があります。
そして、相手の状態が改善しなければ、もっと頑張らなければと思ってしまう。
その頑張りの奥で、自分自身も何かを守ろうとしているのかもしれません。
「冷たい人」と思われたくない
とはいえ、自分を大切にすることは、言葉でいうほど簡単ではありません。
例えば、家族が心の病気で苦しんでいるときに、自分だけ友人と出かける。
介護が必要な親を誰かにお願いして、自分の好きなことを楽しむ。
そんなことをしたら、
「こんなときに自分だけ楽しむなんて」
「家族なのに冷たいね」
そう思われるかもしれません。
実際に、周囲からそんな言葉をかけられることもあるでしょう。
そして、誰に言われなくても、自分自身がそう感じてしまうことがあります。
ここには、個人の思い込みだけでなく、「家族なら支えて当然」「親の面倒は子どもが見るべき」といった、社会や周囲の価値観も影響しています。
だからこそ、自分の人生も大切にしようと思っても、なかなか行動に移せないことがあるのです。
ただ、ここで考えてみたいのは、自分を大切にすることは、相手を大切にしなくなることなのでしょうか。ということ。
愛情と責任は、同じものではない
私たちは、誰かを支えることはできても、その人の気持ちや人生を思いどおりに変えることはできません。
どれほど愛情があっても、本人に代わって生きることはできないのです。
もちろん、病気や介護などで、周囲の具体的な援助が必要な場合もあります。
手を貸すことも、寄り添うことも、ときには医療や介護の専門家、周囲の人たちの力を借りることも大切です。
でも、できる限りのことをするのと、すべてを自分が何とかしようとするのは、少し違います。
例えば、相手のために必要なことをしながら、自分が休む時間も確保する。
一人で抱え込まず、家族や専門家と役割を分担する。
相手を心配する気持ちはそのままに、自分自身の楽しみも大切にする。
どこまでできるかは、それぞれの状況によって違うでしょう。
それでも、相手に必要なことと、自分に必要なこと。その両方を考えていくことはできると思うのです。
頑張りたいのか、頑張らずにはいられないのか
私は、誰かのために頑張ること自体が悪いとは思いません。
大切な人の力になりたい。
できることがあるなら、してあげたい。
そんな気持ちから生まれる頑張りも、とても素敵なものです。
ただ、ここで少し考えてみたいのは、
自分の意思で支えたいから頑張っているのか。それとも、頑張らずにはいられないのか。ということ。
もし、頑張ることをやめたら罪悪感が湧いてくる。
自分の時間を楽しもうとしても、相手のことが気になって落ち着かない。
そんなときは、自分自身を縛っている思い込みがないか、少し目を向けてみてもいいかもしれません。
「本当に私ひとりが背負う必要があるのだろうか」
「今、私にできることは何だろう」
「私は、どうしたいのだろう」
そう問い直してみることで、これまで当たり前だった頑張り方にも、違う選択肢が見えてくることがあります。
相手も、自分も、大切にする
大切な人が苦しんでいるとき、自分も苦しくなるのは自然なことです。
だから、いつも明るく、楽しく過ごそうとする必要はありません。
ただ、相手が苦しんでいるからといって、自分まで幸せを我慢し続ける必要があるのか。
そこは、一度考えてみてもいいのではないでしょうか。
相手のことを心配しながら、友人と笑い合う時間があってもいい。
できる限りのことをしながら、自分のために休む時間があってもいい。
相手には相手の人生があり、自分には自分の人生があります。
「私が何とかしなければ」から、「私にできることを、私の意思で選ぶ」へ。
誰かを大切にすることと、自分を大切にすること。
そのどちらも諦めずに、自分らしい関わり方を選んでいけたらいいですね。
